どうも、神田研司です。
早いもので、夏らしいと言えるほどの暑さを味わうこともないまま、キンモクセイの薫りが訪れました。
雨が止んで、澄んだ空気の美しい夕暮れと共に。
時間というものは、本当は均等に流れているものではないのかもしれません。止まりかけたり、一気に流れたり、大きな古時計のように、ぎこちなく時を刻んでいるのかも。
そしてそれは、人によって違うのです。
淀みなく流れる時間の中にいる者、止まりかけたまま、再び動き出す日を待っている者、いつかの追憶と、流れ行く時から零れ落ちた者。それぞれがそれぞれの時計を持って生きているのです。
かくいう私も、私の中で止まっていた時計が動き出したのは、ほんの数年前でした。
季節も、薫りも、色彩さえ感じられないような嵐の日々の中で、閉ざしてしまった扉が開いたかのように感じました。
それからあっという間のような、まだ五分ほどしか進んでいないような、不確かな時計を抱きしめながら、時にはその存在を忘れかけながら、今もこうして日々を過ごしています。
今日ふいに吹き込んできたキンモクセイの薫りは、そんな記憶の中に眠る時計の存在を思い出させてくれました。
同時に、また大きく、時計の針が動き出すような予感を引き連れて。
まだ見ぬ物語のはじまりを、楽しみにするような心持ちです。
さて、どんな日々が待っているのでしょうか。
それではごきげんよう。
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